2010年02月07日
かにかくに祇園幕末夜話(前)
ちょいと趣向を変えて、幕末の小話を。舞台は京都の祇園です。その昔、お茶屋に奉公に出ていた女の思い出話と思ってください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょっとの間、聞いておくれやす。
新選組の近藤勇せんせについて思い出したことがありますのや。
新選組が壬生から西本願寺集会所に屯所を移転した直後やさけ、
そう、あれは慶応元年(1865)のことやと思います。
その前年の元治元年の6月が例の池田屋騒動、翌月には蛤御門の変が起こって長州はんは潰滅状態、新選組は世に一躍名を馳せました。
なんせ、あの桂小五郎さんも京におられんようになって、
但馬に身を隠しておいでやしたという噂を聞きましたさけ、
当時の新選組いうたら、ほんに飛ぶ鳥を落とす勢い勢いどした。

ちょうどその頃、ご公儀(幕府)から六百両、会津藩から五百両の褒賞金が新選組に下賜されたんどす……。
当時の一両はおおよそ今の五万円ほどになりますさけ、そうどすなあ、五千万円以上のお金が支給されたことになります。
これで懐具合は一気に潤沢になりはって、それはもう平隊士はんまで羽振りがええ。
それまで隊士はんが遊ぶとこいうたら、島原が多かったんどすが、祇園にも足繁く通わはるようになりました。もともと祇園は金離れのいい長州はんのなわばりみたいなもんで、商家も長州贔屓ばっかりどした。
それが、蛤御門の変以降は、長州はんは一掃されておらへん。
こないなったら、お金を落としてくれるとこにつくのが、
商いというもんどす。
せやから、この頃は新選組の方々もあちこちからずいぶん贔屓にされましたえ。
局長の近藤せんせも、あの忠臣蔵の大石内蔵助が豪遊したという京洛一のお茶屋「一力亭」に足繁く出入りされてはりました。

近藤せんせは、大石内蔵助を武士の鑑として仰いではったと聞きましたが、
あの新選組の隊服のだんだら模様ももともとは浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』を真似したもんやそうどすな。
その、大石内蔵助が通いはったお店に、多摩の百姓出のお人が堂々と出入りできるようになったんやさけ、せんせも、さぞかしええ気分やったと思いますえ。
あのお方も土方はん同様、ようおもてになりはってな、
三本木の駒野とか、島原の深雪太夫という一流どころの芸妓をすでに落籍されてはりました。
で、今度は一力亭で、近藤はんは島村屋の君尾という芸妓を口説かれはったんどす。
写真
島村屋は鶴屋とならぶ祇園で一、二を争う格式のある置屋で、そのなかでも山城国丹波の生まれの君尾は三国一の美女とうたわれた芸妓どす。
花も恥じらう十七歳でお披露目するや、たちまち祇園きっての売れっ子にならはりまして、その頃は、長州藩の井上馨先生の寵愛を受けておられたんどす。
井上先生いうたら、明治の御代に外務卿にまで出世された人どすが、
この頃から勤王派の顔みたいな存在どしたな。
そんな井上先生から可愛がられたんやから、君尾も勤王贔屓になるのは当然どした。それやのに、長州藩士を片っ端から斬りまくっていた新選組の局長が勤王芸妓の君尾に懸想されたというわけどす。
うちはたまたま一力に、おてったい(お手伝い)でお二人のお世話をさせてもろてたんどすけど、
君尾はんと長州の井上先生の関係はその頃になると、
知らんもんはおらんぐらい有名どした。
せやけど、祇園いうとこは素直にはできてませんのや。
君尾はゆくゆくは島村屋をしょって立つ将来のある芸妓で、歳からいうても、まだまだ一人の男はんのもんになるわけにはいかん事情がおました。
そやからいうて、井上先生を裏切るわけにもいきまへん。なんせ、明日は勤王、今日は佐幕という、ややこし時代どしたから、いつまた、長州はんが戻ってくるやしれん。そのとき、井上先生が憎んでも憎みきれん新選組の近藤勇と君尾が合ってたことがわかってしもたら、どないなことになるやわかれしません。
早い話がそういう事情を知っておきながら、近藤先生はわざわざ君尾を呼びはったんどす。よほどの一流好みなんか、それとも勤王芸妓への嫌がらせなんかわからしませんけど、これはえらいことになるいうて、
祇園じゅうその噂で持ち切りになりました。
当の君尾もそうとう悩みはったと思いますえ。そんでも、君尾は肝の据わった女どした。
「芸妓は呼ばれてなんぼのもんどす」
と、泣きべそかいてうろたえてる島村屋の主人を諭しはったんどす。
それだけやおへんえ。
「血みることになるかもしれまへんので」
いいはって、芸妓に付き添うはずの禿もつけずに、
たった一人で一力亭に揚がりはったんどす……。(続く)
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ちょっとの間、聞いておくれやす。
新選組の近藤勇せんせについて思い出したことがありますのや。
新選組が壬生から西本願寺集会所に屯所を移転した直後やさけ、
そう、あれは慶応元年(1865)のことやと思います。
その前年の元治元年の6月が例の池田屋騒動、翌月には蛤御門の変が起こって長州はんは潰滅状態、新選組は世に一躍名を馳せました。
なんせ、あの桂小五郎さんも京におられんようになって、
但馬に身を隠しておいでやしたという噂を聞きましたさけ、
当時の新選組いうたら、ほんに飛ぶ鳥を落とす勢い勢いどした。
ちょうどその頃、ご公儀(幕府)から六百両、会津藩から五百両の褒賞金が新選組に下賜されたんどす……。
当時の一両はおおよそ今の五万円ほどになりますさけ、そうどすなあ、五千万円以上のお金が支給されたことになります。
これで懐具合は一気に潤沢になりはって、それはもう平隊士はんまで羽振りがええ。
それまで隊士はんが遊ぶとこいうたら、島原が多かったんどすが、祇園にも足繁く通わはるようになりました。もともと祇園は金離れのいい長州はんのなわばりみたいなもんで、商家も長州贔屓ばっかりどした。
それが、蛤御門の変以降は、長州はんは一掃されておらへん。
こないなったら、お金を落としてくれるとこにつくのが、
商いというもんどす。
せやから、この頃は新選組の方々もあちこちからずいぶん贔屓にされましたえ。
局長の近藤せんせも、あの忠臣蔵の大石内蔵助が豪遊したという京洛一のお茶屋「一力亭」に足繁く出入りされてはりました。
近藤せんせは、大石内蔵助を武士の鑑として仰いではったと聞きましたが、
あの新選組の隊服のだんだら模様ももともとは浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』を真似したもんやそうどすな。
その、大石内蔵助が通いはったお店に、多摩の百姓出のお人が堂々と出入りできるようになったんやさけ、せんせも、さぞかしええ気分やったと思いますえ。
あのお方も土方はん同様、ようおもてになりはってな、
三本木の駒野とか、島原の深雪太夫という一流どころの芸妓をすでに落籍されてはりました。
で、今度は一力亭で、近藤はんは島村屋の君尾という芸妓を口説かれはったんどす。
写真
島村屋は鶴屋とならぶ祇園で一、二を争う格式のある置屋で、そのなかでも山城国丹波の生まれの君尾は三国一の美女とうたわれた芸妓どす。
花も恥じらう十七歳でお披露目するや、たちまち祇園きっての売れっ子にならはりまして、その頃は、長州藩の井上馨先生の寵愛を受けておられたんどす。
井上先生いうたら、明治の御代に外務卿にまで出世された人どすが、
この頃から勤王派の顔みたいな存在どしたな。
そんな井上先生から可愛がられたんやから、君尾も勤王贔屓になるのは当然どした。それやのに、長州藩士を片っ端から斬りまくっていた新選組の局長が勤王芸妓の君尾に懸想されたというわけどす。
うちはたまたま一力に、おてったい(お手伝い)でお二人のお世話をさせてもろてたんどすけど、
君尾はんと長州の井上先生の関係はその頃になると、
知らんもんはおらんぐらい有名どした。
せやけど、祇園いうとこは素直にはできてませんのや。
君尾はゆくゆくは島村屋をしょって立つ将来のある芸妓で、歳からいうても、まだまだ一人の男はんのもんになるわけにはいかん事情がおました。
そやからいうて、井上先生を裏切るわけにもいきまへん。なんせ、明日は勤王、今日は佐幕という、ややこし時代どしたから、いつまた、長州はんが戻ってくるやしれん。そのとき、井上先生が憎んでも憎みきれん新選組の近藤勇と君尾が合ってたことがわかってしもたら、どないなことになるやわかれしません。
早い話がそういう事情を知っておきながら、近藤先生はわざわざ君尾を呼びはったんどす。よほどの一流好みなんか、それとも勤王芸妓への嫌がらせなんかわからしませんけど、これはえらいことになるいうて、
祇園じゅうその噂で持ち切りになりました。
当の君尾もそうとう悩みはったと思いますえ。そんでも、君尾は肝の据わった女どした。
「芸妓は呼ばれてなんぼのもんどす」
と、泣きべそかいてうろたえてる島村屋の主人を諭しはったんどす。
それだけやおへんえ。
「血みることになるかもしれまへんので」
いいはって、芸妓に付き添うはずの禿もつけずに、
たった一人で一力亭に揚がりはったんどす……。(続く)
2010年01月31日
我がいとしの青春小劇場
京都の四条河原町阪急が今年秋をめどに営業を終了するんやと。
待ち合わせ場所のメッカやったのになあ。
学生時代、ワシもそんなことしたことあったけど。
クリスマスイブに最上階のレストランで待ち合わせて、
プレゼントの交換したんや。
そうなんや、そこまで仲がよかったから、
用意してたプロポーズの言葉がいえると思うたのに……
でも、ふられてしもうた。
気まずい沈黙の時間が過ぎていく間に
「いとしのエリー」が際限なく流れていたのを、
いまでも、ありありと思い出すことができるわ。
(こうなった以上、もう京都にはおれん……)
僕は逃げ出すようにして、東京に出て行ったんや。
それから20年後……。
僕らはひょんなことから、
その阪急の同じ最上階で待ち合わせすることになったんや。
別の店に変わっていたけど、窓の外の景色は変わってなかった。
ドキドキした。
「なんで、東京に行ってしもうたん?」
「そ、そやかて、ふられたから冷や汗」
「なんで、うち一人おいて勝手に東京に行ってしもうたん?」
「えっ?」
「うち、追いかけようとまで思ってたんえ
」
「へ? どういうこと? ど、どういうことなんれすか」
「一人で勝手に勘違いして……。うち、あのときふった覚えなんかあらへん。それどころか……」
「へ? 意味がわからへん。どういうこと? わかるように教えてくらさい」
「ど・ん・か・ん! あんたは鈍感や。 もー、取り返しのつかないことしてくれて
」
「あの、ということは
」
「うち、あのときといまの気持ち、●●●●●●●●ないんえ」
「僕も、、、、、ずっと●●●●●●●●」
でも、これ以上やりとりをしたら、
ただならぬ気配になることは火を見るより明らかやった。
でかかった言葉をお互い呑み込んで、
あの日と同じように鴨川まで二人肩並べて歩いて、
結局、僕は自転車で帰る彼女を見送ったんや。
振り返ると、阪急百貨店のイルミネーションが
ひときわキラキラと輝いてたなあ。
想い出の場所がまたひとつ消えていくんやねえ。
待ち合わせ場所のメッカやったのになあ。
学生時代、ワシもそんなことしたことあったけど。
クリスマスイブに最上階のレストランで待ち合わせて、
プレゼントの交換したんや。
そうなんや、そこまで仲がよかったから、
用意してたプロポーズの言葉がいえると思うたのに……
でも、ふられてしもうた。
気まずい沈黙の時間が過ぎていく間に
「いとしのエリー」が際限なく流れていたのを、
いまでも、ありありと思い出すことができるわ。
(こうなった以上、もう京都にはおれん……)
僕は逃げ出すようにして、東京に出て行ったんや。
それから20年後……。
僕らはひょんなことから、
その阪急の同じ最上階で待ち合わせすることになったんや。
別の店に変わっていたけど、窓の外の景色は変わってなかった。
ドキドキした。
「なんで、東京に行ってしもうたん?」
「そ、そやかて、ふられたから冷や汗」
「なんで、うち一人おいて勝手に東京に行ってしもうたん?」
「えっ?」
「うち、追いかけようとまで思ってたんえ
」「へ? どういうこと? ど、どういうことなんれすか」
「一人で勝手に勘違いして……。うち、あのときふった覚えなんかあらへん。それどころか……」
「へ? 意味がわからへん。どういうこと? わかるように教えてくらさい」
「ど・ん・か・ん! あんたは鈍感や。 もー、取り返しのつかないことしてくれて
」「あの、ということは
」「うち、あのときといまの気持ち、●●●●●●●●ないんえ」
「僕も、、、、、ずっと●●●●●●●●」
でも、これ以上やりとりをしたら、
ただならぬ気配になることは火を見るより明らかやった。
でかかった言葉をお互い呑み込んで、
あの日と同じように鴨川まで二人肩並べて歩いて、
結局、僕は自転車で帰る彼女を見送ったんや。
振り返ると、阪急百貨店のイルミネーションが
ひときわキラキラと輝いてたなあ。
想い出の場所がまたひとつ消えていくんやねえ。
2010年01月27日
オキナワ差別
「斟酌しないといけない理由はない」
とヌケヌケといった平野博文官房長官、
ついに、
移設先の自治体が受け入れに応じない場合は
法的に決着させることも可能と言い放ちましたな。
↓
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1090183&media_id=4
つまり、
「国策に対して沖縄が逆らうのなら、文句がいえないよう法律を持ち出して強制執行しますよ」
ということだ。
本音が出たというところだが、
実は民主党幹部は、今月中旬にすでにこんなことをいっている。
「名護市長選挙の結果が、現行案を推進するという良い方向に出たとしても、工事に着手した時にどうなるか」(長島昭久防衛政務官)
要するに、民主党幹部の本音は容認派の島袋氏に勝ってもらうことが
党にとって「良い方向」だったということ。露骨だなあ。
在日韓国人2世作家の梁石日氏は琉球新報紙上で、
「沖縄に対して本土の人たちは非常に差別的な意識を持っていると思う」
として、
「日本は沖縄を利用している」と述べているが、
まったくその通りであろう。
もし、移設先が横須賀や厚木で、その市長選で移設反対派が勝ったとしたら、
平野官房長官は、「斟酌しない」とか「法的に決着させる」といえただろうか。
神奈川県民に対して、とてもそんなことはいえませんわな。
相手が「オキナワ」だからいったことは火を見るより明らかだ。
とヌケヌケといった平野博文官房長官、
ついに、
移設先の自治体が受け入れに応じない場合は
法的に決着させることも可能と言い放ちましたな。
↓
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1090183&media_id=4
つまり、
「国策に対して沖縄が逆らうのなら、文句がいえないよう法律を持ち出して強制執行しますよ」
ということだ。
本音が出たというところだが、
実は民主党幹部は、今月中旬にすでにこんなことをいっている。
「名護市長選挙の結果が、現行案を推進するという良い方向に出たとしても、工事に着手した時にどうなるか」(長島昭久防衛政務官)
要するに、民主党幹部の本音は容認派の島袋氏に勝ってもらうことが
党にとって「良い方向」だったということ。露骨だなあ。
在日韓国人2世作家の梁石日氏は琉球新報紙上で、
「沖縄に対して本土の人たちは非常に差別的な意識を持っていると思う」
として、
「日本は沖縄を利用している」と述べているが、
まったくその通りであろう。
もし、移設先が横須賀や厚木で、その市長選で移設反対派が勝ったとしたら、
平野官房長官は、「斟酌しない」とか「法的に決着させる」といえただろうか。
神奈川県民に対して、とてもそんなことはいえませんわな。
相手が「オキナワ」だからいったことは火を見るより明らかだ。






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