2009年07月03日
騒音候補者に筆誅!!
「おーし! 今夜こそは!」と、
月下の不眠症男(ワタクシのことです)は万難を排して床に入ったのだが、
眠ろうとする意識が少々強すぎたせいか、
やはり寝付けず、
悶々としているうちに、
東の空が明るくなった。
まあ、それでもここまでくれば、しだいにうつらうつらしてくるもので、
(うんうん、よしよし、もう少しで眠れるかもしんないな……)
と、ほくそ笑んだのもつかのまであった。
外から大音量で聞こえてくる
(もしもし亀さん、亀さんよ♪〜)のフレーズで、
と、ずばっとお目々が覚めた。
名前の連呼だけでも発狂しそうなくらいやかましいのに、
今回の那覇市議選はあちこちで「歌う選挙カー」が走り回っているのだ。
「もしもし亀さん♪〜」の亀とは、
候補者の名字の一字に
「亀」が入っていることにちなんだ替え歌。
今回の市議選は、名前をより印象づけようという戦略なのか、
替え歌が大はやりで、とくに政権与党側の候補者にそれが目立つ。
これまで聞いた曲をざっと並べると……
丘を越えてゆこうよ♪ あんたがたどこさ♪ 秘密のアッコちゃん♪ 汽車ぽっぽ♪ どうにも止まらない♪……
というぐあいで、これを早朝から夜まで入れ替わり立ち替わり、
ウグイス嬢の生オケで聞かされ続けているのだ。
ただでさえ暑苦しい時期なのに、
朝っぱらから大音量で幼稚な替え歌はなかろう。
街には病人もいれば、赤ん坊もいるし、
タクシー運転手のように夜勤を終えて仮眠をしている人だっているのだ。
そんなときに、「もしもし亀さん♪〜」
とは、いったいどういう神経をしているのだ!
かつてオウム真理教が選挙運動でやっていた
「しょっこーしょっこーしょこしょこしょっこー♪ 」の
麻原マーチを彷彿させる痴話的事態といっていい。
こうなると、騒音公害どころではなく、もはや騒音地獄である。
わたしは相手をおもんぱかることの出来ない人間に
健全な政治など、とうていできるはずなどないと思っている。
むろん、そんなヤカラには絶対に票を投じることはできない。
有権者をなめているとしか思えない
幼稚きわまりない選挙運動は
規制の対象にすべきで、そっこくやめさせるべきだ。
月下の不眠症男(ワタクシのことです)は万難を排して床に入ったのだが、
眠ろうとする意識が少々強すぎたせいか、
やはり寝付けず、
悶々としているうちに、
東の空が明るくなった。
まあ、それでもここまでくれば、しだいにうつらうつらしてくるもので、
(うんうん、よしよし、もう少しで眠れるかもしんないな……)
と、ほくそ笑んだのもつかのまであった。
外から大音量で聞こえてくる
(もしもし亀さん、亀さんよ♪〜)のフレーズで、
と、ずばっとお目々が覚めた。
名前の連呼だけでも発狂しそうなくらいやかましいのに、
今回の那覇市議選はあちこちで「歌う選挙カー」が走り回っているのだ。
「もしもし亀さん♪〜」の亀とは、
候補者の名字の一字に
「亀」が入っていることにちなんだ替え歌。
今回の市議選は、名前をより印象づけようという戦略なのか、
替え歌が大はやりで、とくに政権与党側の候補者にそれが目立つ。
これまで聞いた曲をざっと並べると……
丘を越えてゆこうよ♪ あんたがたどこさ♪ 秘密のアッコちゃん♪ 汽車ぽっぽ♪ どうにも止まらない♪……
というぐあいで、これを早朝から夜まで入れ替わり立ち替わり、
ウグイス嬢の生オケで聞かされ続けているのだ。
ただでさえ暑苦しい時期なのに、
朝っぱらから大音量で幼稚な替え歌はなかろう。
街には病人もいれば、赤ん坊もいるし、
タクシー運転手のように夜勤を終えて仮眠をしている人だっているのだ。
そんなときに、「もしもし亀さん♪〜」
とは、いったいどういう神経をしているのだ!
かつてオウム真理教が選挙運動でやっていた
「しょっこーしょっこーしょこしょこしょっこー♪ 」の
麻原マーチを彷彿させる痴話的事態といっていい。
こうなると、騒音公害どころではなく、もはや騒音地獄である。
わたしは相手をおもんぱかることの出来ない人間に
健全な政治など、とうていできるはずなどないと思っている。
むろん、そんなヤカラには絶対に票を投じることはできない。
有権者をなめているとしか思えない
幼稚きわまりない選挙運動は
規制の対象にすべきで、そっこくやめさせるべきだ。
2009年06月30日
向田邦子と生玉子
脚本家にして直木賞作家だった向田邦子さんも
玉子かけ御飯を好物にしていた。
……炊きたての御飯の上に生卵をかけて食べるのは、子供の頃から大好きだった。
ところが、我家では子供は二人に一個なのである。はじめから御飯に卵をかけてしまうと、おみおつけを残すからというのが親のいい分だった。
私と弟と、二つの茶碗をくっつけて、母が一個の生卵に濃い目に醤油を入れたのを分けてくれる。長女の私が先である。ジュルンとした白身が必ず私の茶碗に滑り込むのを、
「あ」
と心の中で小さく声を上げながら眺めていた。白身は気持ち悪いし、第一御飯に馴染まない。二番目に生まれればよかった、思ったこともある。今でもフライを作っていて、とき卵を半分に分ける時、幼い日の、「あ」という感覚を思い出すことがある……(父の詫び状・「卵とわたし」)
さすが稀代の名エッセイストですな。
生玉子を分けようとしてうまくいかず、
「あ」と声をあげそうになる様は誰もが一度は経験しているのはないか。
こんな日常の何気ない出来事も、向田さんの手にかかったら、
まるで自分の思い出のように脳裏に浮かんでくる。

ところで……。
なぜ、白身は必ず先に茶碗に滑り込んでしまうのか。
気になったので調べてみると意外なことがわかった。
白身がツルリと出てしまうしまうのは、カラザが犯人らしい。
カラザとは卵白と卵黄とをまたがるようにして絡まっている
ゼリー状の白っぽい部分だ。
気味悪いからと取り除く人もいるが、
実は卵にとってカラザは生命を左右する大切な要らしい。
カラザは箸でしっかりかき混ぜても弾力を失わないが、
これは卵の中心に卵黄が来るように
卵内部の上下からしっかりと黄身をつかまえているため、なのだそうだ。
だから、いくらかき混ぜたつもりでも白身が先に滑り込んでしまうのだ。
玉子をころがしても、尖ったほうを中心に円を描いて
もとの場所に戻ってくるが、
これも巣からころがり落ちないようにと神様が施した仕掛けのひとつ。
生命というのは実にうまくできているものだ。
その生命を毎日つぶしいただいて、人は「生」を連綿と紡いでいる。
まことに感謝するほかない。
2009年06月24日
江戸時代の玉子かけ御飯
またまた生玉子のお話になる。

これまでは東西の食文化についてヨコの比較してきたのだが、今回はさらに鋭く歴史比較を試みてみたい。
すなわち、ヨコの比較に対して、時空間を遡ったタテの比較ですな。
「用意した鴨の肉を焙って小さく切ったのへ、つけ汁をかけまわしておき、一方では大鉢へ生卵をたっぷりと割り込み、味を付けたものの中へ、鴨肉ときざんだ葱を入れ、これを炊きたての飯と共に出した」
↑は池波正太郎の『食卓の情景』(朝日文庫刊)のなかに出てくる一節。
実は、これが元禄15年12月14日の夜に食べられていた玉子かけご飯なのである。
といえば、誰がこのご飯を食べたのかもうおわかりだろう。
そう、今から三百年ほど前、忠臣蔵で有名な大石内蔵助が
吉良邸討ち入りの夜の腹ごしらえに食べた玉子かけご飯なのだ。

間鴨と生玉子……。
玉子かけご飯愛好家にとっては、
涎が出てきそうなくらいまぶしい献立ではないか。
即刻、試してみたくなるが、
実際、江戸時代の玉子かけご飯の食べ方を知った池波正太郎も
大石内蔵助がやったようにして食べていたという。
ところで……。
赤穂浪士討ち入り前夜といえば、
四十七士がそばをたぐったという「討ち入りそば」の話がよく知られている。
しかし、史実はそうでなく、
上記のように浪士達は玉子かけご飯を食っていたというわけだ。
四十七士の生き残りである寺坂吉右衛門は、
集合場所は同士の家三ヵ所で、
そのうち堀部弥兵衛宅で玉子かけご飯、かち栗、鴨と菜の吸い物が供応され、
その後、吉田忠左衛門ら六〜七人がまだ時間が早いと、
両国橋向川岸町の茶屋・亀田屋に寄り、そば切りを食べたと記している。

ネトネトグチャグチャ玉子かけご飯を食べ、
ヌラリヌラリした唇をふきふきしながら、
「いざ出陣!」では、どうもさまにならない。
やはり、江戸の市井の人々としては
「一堂に会しそばをすすり、いざ出陣」という姿こそ粋に見えたはず。
「討ち入りそば」の逸話はおそらくそんなところから生まれたのではあるまいか。
これまでは東西の食文化についてヨコの比較してきたのだが、今回はさらに鋭く歴史比較を試みてみたい。
すなわち、ヨコの比較に対して、時空間を遡ったタテの比較ですな。
「用意した鴨の肉を焙って小さく切ったのへ、つけ汁をかけまわしておき、一方では大鉢へ生卵をたっぷりと割り込み、味を付けたものの中へ、鴨肉ときざんだ葱を入れ、これを炊きたての飯と共に出した」
↑は池波正太郎の『食卓の情景』(朝日文庫刊)のなかに出てくる一節。
実は、これが元禄15年12月14日の夜に食べられていた玉子かけご飯なのである。
といえば、誰がこのご飯を食べたのかもうおわかりだろう。
そう、今から三百年ほど前、忠臣蔵で有名な大石内蔵助が
吉良邸討ち入りの夜の腹ごしらえに食べた玉子かけご飯なのだ。

間鴨と生玉子……。
玉子かけご飯愛好家にとっては、
涎が出てきそうなくらいまぶしい献立ではないか。
即刻、試してみたくなるが、
実際、江戸時代の玉子かけご飯の食べ方を知った池波正太郎も
大石内蔵助がやったようにして食べていたという。
ところで……。
赤穂浪士討ち入り前夜といえば、
四十七士がそばをたぐったという「討ち入りそば」の話がよく知られている。
しかし、史実はそうでなく、
上記のように浪士達は玉子かけご飯を食っていたというわけだ。
四十七士の生き残りである寺坂吉右衛門は、
集合場所は同士の家三ヵ所で、
そのうち堀部弥兵衛宅で玉子かけご飯、かち栗、鴨と菜の吸い物が供応され、
その後、吉田忠左衛門ら六〜七人がまだ時間が早いと、
両国橋向川岸町の茶屋・亀田屋に寄り、そば切りを食べたと記している。

ネトネトグチャグチャ玉子かけご飯を食べ、
ヌラリヌラリした唇をふきふきしながら、
「いざ出陣!」では、どうもさまにならない。
やはり、江戸の市井の人々としては
「一堂に会しそばをすすり、いざ出陣」という姿こそ粋に見えたはず。
「討ち入りそば」の逸話はおそらくそんなところから生まれたのではあるまいか。





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