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2006年11月28日

実録キンエン日誌(1)

突如的にタバコをやめて三月以上経った。
むはははは。
もはや、まったく吸いたいと思わない。完全に禁煙に成功したのだ。それどころか、タバコの匂いまで嫌になったし、よくもまああんなものに手を出していたものだとさえ思うようになった。

禁煙は過去2度経験している。最初の禁煙で十年以上やめていたのだが、原稿を書く仕事についてから、つまり、沖縄で暮らしてから見事にコロンでしまった。

あの頃はなにかこう、モノカキはタバコを吸わねばならないのだというイメージがあった。ほら、作家ってよくタバコをくゆらしているプロフィール写真があるじゃないですか。原稿を書いている最中、ふと表現に行き詰まったら一服つける。そして、「ふう」と煙を吐き出しながらアイデアを練る。先天性単細胞男は(いうまでもなく僕のことです)、モノカキとはそういうものだと思っていたので、あの姿を真似たのであった。

が、そんなものは幻想にすぎないことが、やがてわかってくる。先天性クサレ頭は(かえすがえすも僕のことです)、四六時中原稿書きに行き詰まっているので、四六時中タバコを吸うことになる。ところが、クサレ頭ゆえ、いくら吸ってもアイデアなど微塵も浮かんでこないのである。
これでは何の意味もないどころか、体にもよくないし、経済的にも無駄ということになる。
それにだ。僕はタバコをくゆらす姿を人様に写真で見せるほどの大作家でもない。

しかし、そのことに気づいたときには、喫煙が常習化していて、やめられなくなっていた。が、それとは裏腹にいつもやめたいという意識がつきまとっていた。

吸いたくないのに吸っている自分がいて、吸っている自分がいるのに本当は吸いたくない。ついでにいえば、僕は家の中では吸わないホタル族で、しかも、クルマの中でも吸わず、乗り物などは必ず禁煙席を選ぶ。にもかかわらず、なぜ、タバコに依存する必要があるのか。
これではタバコを吸っている意味がないではないか。

この矛盾した連鎖を壟断するには、むろん禁煙するしかない。うまい具合にといっては何だが、この夏、僕はタバコを吸うのもおっくうなほど体調をひどく崩し、禁煙するのに絶好の機会を得た。
二日酔いのときはタバコの匂いを嗅いだだけでも気持ちわるくなるが、あれと似たようなものである。

(いましかないな)

友人から『禁煙セラピー』という本も借り、読了した8月20日、「えいやっ!」で、発作的にライターや灰皿を捨てた。(続く)  

Posted by 仲村清司 at 18:00Comments(15)

2006年11月24日

またダマされた沖縄県民

沖縄県知事選について、ついに久間防衛長官が本音をぶちあけました。(読売新聞)


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061123i112.htm

「知事選に負けたらどういう手でやるか、その時は法律を作り、
一方的に県知事の権限を国に移してでもやらないといけないと思っていた。
負けたら力づくでもやるという腹を持っていた」


県民の民意などはなから認めるつもりはなかったというわけです。
沖縄差別などないという人もいるけど、これを差別といわずしてなんというのか。

ともあれ、選挙前にこの本音が明るみになっていたら、結果は変わっていたかもしれません。

県民はまんまとのせられました。またもや、政府にダマされてしまいました。
目覚めるべきは、まずは県民ですね。むろん、移住者も含めてです。  

Posted by 仲村清司 at 18:05Comments(8)

2006年11月24日

徴兵制、ウソだと思うならこれを見て!

県知事選前から、このブログを通して、僕は日本は危ないと再三主張していきましたが、
その証拠をお見せしましょう。

以下は、「子どもへの方策 」と題された、教育改革国民会議が提起した教育改革案です。
断っておきますが、これは首相官邸ホームページで公式に発表されているものです。
まずはじっくりお目通しを。

http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html

●幼児から高校生に対して学校が行うこととして、

遠足でバスを使わせない、お寺で3〜5時間座らせる等の「我慢の教育」をする、地域の偉人の副読本を作成・配布する
学校に畳の部屋を作るといった、開いた口がふさがらない項目がありますが、

家庭が行うこととして、
甘えるな、他人に迷惑をかけるな、団地、マンション等に「床の間」を作るといった
ことも書かれています。「床の間」を設けて何をさせるつもりなのか、想像はいくらでも膨らみまずが、
きわめつけは、高校生に対して、提起された以下の事項です。

●「満18歳で全ての国民に1年ないし2年間の奉仕活動を義務づける」

ごくフツーに解せば、18歳になれば、1年〜2年は就職はせずともよろしい。
あるいは、大学生は学業をいったん中断し、
「奉仕活動をせよ」という意味になります。
いったいどこで奉仕活動をさせるのでしょうか。
満18歳の国民すべてを受け入れるほどの大規模な奉仕活動の場といえば、
どう考えても自衛隊しかありません。


私たちの子どもたちに対して向けられた、「徴兵制」はすぐそばまできています。

危機感を感じられた読者は、先述した首相官邸のホームページを転載してください。
一人でも多くの知り合いや
友人に、いまこの国がどこに向かっているのか、知ってもらう運動を展開しましょう。  

Posted by 仲村清司 at 15:04Comments(5)

2006年11月22日

我楽そばのもうひとつの主役



沖縄好きの方なら、もう解説する必要はないと思いますが、
これが、「じゅうしい」。
「じゅうしい」には二種類あって、いわゆる豚肉入りの炊き込みご飯のことを
「クファじゅうしい」、
雑炊にして米をボロボロにまでしてやわらかく炊いたものを
文字通り「ボロボロじゅうしい」といいます。


ウチの我楽そばでは、
「クファじゅうしい」をサブメニューとしてお出ししているのですが、これが大人気で、
そば屋にもかかわらず、そばより「じゅうしい」の方が早く売り切れてしまうほど。

なので、一食でも多くお客様に食べて貰おうと、僕のような店の関係者は、
遠慮して注文しないようにしています。

そうまでして食べてほしいのは、この「じゅうしい」が、例の丁寧に時間をかけて
とった透明だしを使って炊いているから。

最近のじゅうしいは脂っぽいものが多く、僕はこれも県民肥満化の要因の一つになっていると
睨んでおるのですが、この我楽そばのじゅうしいはあのだしで炊いているからあっさり味。

これがうけて、このじゅうしいに、そばのだしをかけて
茶漬けのようにしてたべるメニューもほしいとの要望もでているくらいです。
いわゆる、そばだしブッカケ飯です。

これに錦糸玉子や豚肉、人参のせんぎりを具にしてのっければ、
宮廷料理の「トゥンファン(豚飯)」に近いめにゅーになります。

開発可能かいま鋭意検討中ですが、ともあれ、まずは、素のじゅうしいを召し上がれ。  

Posted by 仲村清司 at 17:37Comments(4)

2006年11月15日

新人気メニュー登場



この秋、突如登場した「くーすBARカラカラ」の新メニュー、
「鶏塩ちゃんこ鍋」。

鍋はまだ早いかなと思っていたら、ほぼ連日、注文続々の人気メニューとなりました。
鶏はいったんローストしているので、脂がほどよく抜けてヘルシー。
しかもダシにこくがあって、スープの塩加減が絶妙でした。

具を平らげたあとは、うどんか、鶏飯ふうにごはんをぶっこんでもOK。

南国沖縄の当店のお客様は、クーラーをギンギンにかけながら、
汗かきながら、
フーフーしながら食べております。

常連のN丸さんからのコメントです。

先週末いただきました。参りました完敗です。
美味であります。最後にうどんを投入しまして
〆といたしました。
これから寒くなるので外せない一品ですね。


おおきに。  

Posted by 仲村清司 at 18:53Comments(8)

2006年11月13日

県民の選択は世界から注目されている

19日の県知事選に関して、地元マスコミや通信社の世論調査の結果が報じられています。どのメディアも仲井真、糸数氏が横一線で、無党派動向が鍵としていますが、琉球新報に気になるデータが掲載されていました。

年代別・男女別の世論調査によると、年代別では30代、40代、50代で糸数候補が支持を集めているとのことです。これはまあ予想通りなのですが、気になるのは仲井真候補の支持年齢層が20代で約5割ときわめて高く、糸数候補支持の約3割を大きく上回っているのです。

また、男性は糸数、仲井真候補がほぼ拮抗しているのに対し、女性では仲井真候補が糸数候補を上回っているとのことです。

20代といえば次代を担う青年たち。女性もいうまでもなく次代を担う貴重な生命を産む人たちです。

このブログでも繰り返し書いたように、今の日本は非常に危険な道を歩んでいます。日の丸・君が代強制、有事法制、靖国問題、共謀罪、教育基本法改悪、短波放送の軍事的利用、そしてその先に準備されているのは徴兵制です。

つまり、軍隊に放り込まれるおそれのある世代、そして、自分の子どもたちや孫を軍隊にとられるおそれのある女性たちに、仲井真候補支持が多いというわけです。

しかも、沖縄は軍事要塞化された最たる前線基地というべき土地です。周知の通り、与党候補の仲井真氏は米軍普天間飛行場の移設問題で、県内移設を容認する考えを明らかにしています。
案の定、久間章生防衛庁長官は「いいことだ」と述べ、歓迎する意向を示していますが、日本の今後、沖縄の将来をいちばん警戒しなければならない沖縄の人たちの、若い世代と女性に仲井真支持が多いという実態に、僕は愕然としました。

もしかすると、この島は思ったよりも右傾化しているのかもしれない。ファシズムに真っ先に協力する土地かもしれないと、暗い危惧を抱きました。

「私は4人の子どもを産んでいます。絶対に、戦争に行って殺したり殺されたりするために産んだわけではありません。 そんなお母さんは、世界中のどこを探したっていませんよね」

「子どもたちの笑顔を見ると、行動せずにはいられません。憲法9条についても、戦争についても、それぞれが自分のこととして考え、自分にできる方法で声をあげたらよいと思います。それは、どんなに忙しい人だってできるはず。だって、日本はまだ、かろうじて、自由に発言できる国なのですから」

とは、農業をしながら子育てをし、平和映画祭のプロデュースや講演活動を、海外での平和運動や環境運動を活発に展開されている、きくちゆみさんが沖縄大学の上映会&トークセッションで語った言葉です(集会に参加された方の文章を抜粋する許可を得たので、そのまま掲載しています)。


上映会が終わったあと、糸数候補がこの場に駆けつけ、次のように語りました。

「国政の場で後4年しっかりやって、という思いもあったのですが、こういう情勢ですから、これ以上沖縄には絶対に基地をつくらせない、杭一本打たせない、という思いで決意しました」

「母の1周忌のときに、親戚の人から、母が3歳の息子をマラリアと食べ物がないので亡くしたという話を聞きました。そして、その直前に生まれたばかりの女の子も亡くし、母は半狂乱になったということを始めて聞いたときに、戦争が彼女のような悲しい女性を世界中で生んでいる。戦争をなくさなくては、と強く思いました」

「子どもを産んでなかったら、この母の気持ちを追体験できなかったと思います」

11日に行われる選挙は単に知事を選ぶだけの選挙ではありません。この選挙は猛り狂ったように戦争に向かおうとするアメリカ、それに尻尾を振って戦争準備に追随する日本の危険な動きを、阻止する選挙でもあるのです。
沖縄県民はどちらを選択するのか。その責任はたいへん大きいものがあります。

きくちゆみのブログとポッドキャスト
http://kikuchiyumi.blogspot.com/   

Posted by 仲村清司 at 18:43Comments(5)

2006年11月08日

ニコニコオジサンのたどる道

*別の媒体に書いたものを転載しました。
「真宗の本尊」(宮城覬著)という書物に、開高健氏の『最後の晩餐』の文章を引用した、次のような記述があります。

「〜第二次大戦後になってナチスの強制収容所や絶滅キャンプの実態が詳細に報道されるにつれ、いったいこういうことがやれるのはどんな怪物だろうという問いがのべつに発しられた。しかし、その問いに対してはすぐさま、いや、怪物でも何でもない、そこらの町角でニコニコしてタバコや切手を売ってくれるオジサンたちだったという返答がもどされた。事実としてその後、追求してみると、金髪の野獣のうちの大半はうんざりするほど正常なニコニコオジサンたちであった。(中略)
ユダヤ人大量無差別殺戮という非道なことを、組織の最先端、殺戮の現場で遂行した人々が、実は「うんざりするほど正常なニコニコオジサンたちであった」ということは、まことに恐ろしいことだと思います。そして実はわたしたち自身も、あの大戦中「お国のため」という言葉のもとに、五十歩百歩のことをしてきました。〜」


知事選を控えた沖縄は、土建・建設業界を中心に、利権を求めるものたちが、票集めのために駆けずり回っています。先日はウチの店にも保守系候補の後援会カードに支持者として記名してくれと、露骨なまでの選挙運動を展開するお客さんが現れました。それもカウンター席で⋯⋯。

僕はそっとその場を離れましたが、その場で記名した人も何人かいたようです。

それぞれ、ふだんはごく普通のニコニコオジサンたちです。


日の丸・君が代強制、有事法制、靖国問題、共謀罪、教育基本法改悪、短波放送の軍事的利用、そしてその先に準備されている徴兵制。加えて「沖縄の人は喜んでほしい」などと開いた口がふさがらないほどに、PAC3(ミサイル)配備の正当性を主張してはばからない閣僚。


そこまでバカにされても、やりたい放題やられても、まだ、目が覚めず、「もらえる金はいまにうちにもらっておけ」「中央とパイプのある候補を!」と躍起になっているニコニコオジサン。


そのニコニコオジサンたちが慕う中央は、沖縄に対して、あからさまな差別行政を展開してきたのは周知の通り。にもかかわらず、恥も外聞もなく、銭のおこぼれにすがろうとするニコニコオジサン。奴隷根性とはよくいったものです。


このままいけば、うんざりするほど「正常」なニコニコオジサンたちは、より正しい「日本人」の手本になるために、率先して、徴兵制に加担していくでしょう。そしてゆくゆくは戦争という巨悪に巻き込まれていく。

まさかと思ってはいけない。

戦前、戦中とこの島の人たちは、これとまったく同じ道を歩んだのですから。



「満州だけじゃ飽き足らず、支那まで取ろうてえ魂胆ですかい。そう考えるのはお国の勝手だが、真っ先かけてくたばるのは、百姓の倅やそこいらの丁稚や職工だ」

浅田次郎著、『天切り松闇がたり・昭和侠盗伝』の中に出てくる怪盗「説教寅」の言葉です。


戦前の百姓の倅、丁稚、職工はいまの時代に置き換えれば、庶民総体、すなわちわれわれです。

将来もし、徴兵制が敷かれたとき⋯⋯。真っ先に召集令状が来るのはその庶民であるニコニコオジサンの子どもや孫たちでしょう。


「いいか。おめえ、でかくなったら、徴兵検査なんざ行くんじゃねえぞ。兵隊なんざ行かずに懲役に行け。そのほうがなんぼかましだ」

「どんなやぶれかぶれの世の中だって、人間は畳の上で死ぬものだ」

ニコニコオジサンたちに、冷静になって聞かせたい寅弥の「説教」です。
●朝日新聞に「沖縄知事選・私の見方」というタイトルで、僕のコメント記事が掲載されています。

http://sf01.asahi.com/okinawa/news.php?k_id=48000000611010004  

Posted by 仲村清司 at 17:06Comments(14)

2006年11月07日

酒飲みの抗弁

*別の媒体で書いた記事ですが、よくできているとのことなので、一部加筆して転載します。


煩悩と俗にまみれきっているワタクシもかつては出家にあこがれて、
永平寺の修行僧になろうと思ったことがありました。

で、新潮文庫から出版されている「食う寝る坐る永平寺修行記」という
永平寺での修行体験をルポした野々村馨氏の本を読んだわけです。

おそろしいもんですな。ひたすら只管打坐、
座禅を組んでお経を唱えているものかと思えばさにあらず。

驚いたのは、睡眠、排泄、入浴、堂内の清掃、床ゆきといったありとあらゆる人間の行為が、
どのように行われなければならないかということについて、
宗祖の道元がこと細かに書き残していて、雲水はすべてこの定めに従わねばならないことです。

それも、頭で理解するのではなく、体で覚えていく。
実際に自分の 体にむち打つようにして、修行でそれらひとつひとつの作法を身につけなければならない。
ところが、少しでも間違えると、先輩から殴る蹴るどなられる。

早い話が永平寺は娑婆と違って、長幼の差は何の意味も持ちません。
飯の数だけ、すなわち修行年数だけがものをいう。
そう、ここでは暴力が当たり前の体育会的奴隷修行の場なのですな。

なかには脱走を試みる修行僧もいるけど、 ほとんどは町ぐるみの捜査網にひっかかり、
連れ戻されるそうな。

こうやって体で作法を鍛えあげることを、「身心脱落」といいます。
こうすることで、短時間で一日一日生きていることそれ自体を、歓びと感じられるようになるのだそうです。
そうなると、季節のうつろいや、あるがままの自然のありがたみ、
たとえば草木の葉に落ちた雨水が土に垂れることによって、大木の周りの下草を育て、やがては大木自信を育て上げるという大自然の営みが身にしみるように体感できるらしいのです。

著者の野々村馨氏が実際にその光景を眺め、落涙するシーンは、思わずもらい泣きしたぐらい描写が見事でした。

ま、それはともかく、修行僧は、睡眠時間も短く、朝早くから夜遅くまで作業と坐禅の連続。
にもかかわらず、食べるものもわずかしか
与えられません。
しかも、お米中心の炭水化物が中心。
なので、「動物性タンパク質とビタミン不足」に陥り、
ほとんどの修行僧は、 脚気をわずらうというのです。

この現代において、脚気ですよ。すさまじい修行といわねばなりません。

したがって、永平寺の食生活に順応できないものは、
手足がむくみ、作業困難に陥り、入院するものが続出するらしい。
永平寺には薬局もあって、サプリも手に入りますが、修業期間中は薬の購入は禁止。
結局のところ、御飯の量を減らし、運動量を増やし、一刻もはやく、永平寺の食生活に慣れるしかないのです。

天台宗の本山、比叡山の修行もおそらく似たり寄ったりでしょう。

こうして、修行僧のおそるべき過酷な実態を知った僕は、
かつて、高僧が祇園で景気良く飲み食いしている意味を知ったのです。

そう、ライバル層を蹴落として、一日もはやく幹部僧になって、
祇園に繰り出すぐらいにならんと、脚気や病気をわずらってしまう。

さて、このことを自分に置き換えた場合です。
こんな不真面目で煩悩の大海を泳いでいるような人間が修行に耐えられるはずがないし、
高僧になれるはずもない。

やめた。 やはり絶対自力の禅宗への出家はやめよう。
そして、自分の体や心のためにも、無理はしないでおこう。
脚気にならないためにも、 いまのままの飲んだくれ人生でいこう。それでいじゃないか。

親鸞の思想に、われわれは煩悩具足の凡夫のままでも、
如来は追いかけてでも衆生のわれわれを救済してくれるという教えがあります。
絶対他力の根幹をなす考え方ですが、ワタクシはそれを口実に酒をくらっています。

酒飲みの自己弁護でした。以上。   

Posted by 仲村清司 at 17:39Comments(12)

2006年11月01日

これは必読!我楽そば、こんなに誉められました

●このところ、我楽そばの記事が続いておりますが、けっして自画自賛ばかりしているのではありません。
その証拠といってはなんですが、、以下のコメントを掲載させていただきました。
コメンテーターはブチクンロックさま。もうすぐ、久米に居酒屋をオープンさせる方で、
昨日、我楽そばに来店されたばかりです。すぐに、以下の記事をミクシィに書かれていたので、
許可をいただき、このブログにも転載させていただきました。

*実は昨日は、なんとダシをおかわりされたお客様もおられました。
沖縄一透明なダシはそれほどまでにハマる味だったのですね。いや、本当にうれしい限りです。
ではブチクンロックさまのコメント、どうぞごゆるりとお読み下さい。
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我楽そば
行ってきました。

結論から言います。美味い!です。

ワタクシ大阪生まれです。大阪育ちです。味にはうるさいです。麺類命です。
が、言います。美味いです。

まずはスープ、透明で一見薄い?いんや、違う!出汁とコクがしっかりしてます。うまく表現出来ないけど、くどくない「濃い旨み」なんです。うん、二日酔いには特に良い!

で、麺、おびえてました。歳をとれば「歯、眼、○○」で衰えるといいます。大丈夫かと・・ 
あのですね、「硬い」と「こしのある」はうんです。しっかりとした噛み応え、うん「こし」です。
「じゅうしい」も、ワタクシ好み。昨今の油ベタベタ、ただ濃い辛い「じゅうしい」で無くしっかり出汁の効いたやさしい味でした。

はい、うまく伝わらなかったらごめんなさい。みなさん、お奨めです。特に、関西方面の方は嫁を質に入れても、味合う価値ありです。


写真は次回でごめんなさい。仲村さんにも、お会いできて良かったです。もっと、しっかり食べて健康になるように・・
はい、えらそうにすみません。
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我楽そばを開発した比嘉夫妻です。

  

Posted by 仲村清司 at 12:10Comments(10)