てぃーだブログ › 仲村清司の沖縄移住録@2018 › 2005年10月

2005年10月27日

緊急発言・怒、怒、怒!

日米両政府がついに本性を剥き出しにしましたな。
普天間飛行場の移設先を辺野古沿岸部にすることで、正式に合意。これにともない、
本島中南部基地を北部に集約。加えて、建設予定海域(公有水面)の使用権限を知事
から国に移す特別措置法案を年明けの通常国会に提出する……。

つまりは、県民が要求する県外移設(海外移設)には絶対に応じず、ごり押しで県内
移設を推し進め、中南部にある既存基地施設・機能をヤンバルに集中させて、あくま
で沖縄の基地を固定化させ、これに沖縄県が反対して移設をこれ以上困難にするなら、
国家が建設予定海域の使用権限を県から取り上げてしまう、というわけです。

どうやら、沖縄県民の切実な声は内地には届いていないようですね。

21日の記者会見で、東京都知事は、
「沖縄みたいにたくさん空いている土地があって、そこが良いと言っているわけでは
ないが、伊江島なんてのは普天間のわりと近くで、滑走路が2本もあってほとんど使っ
ていない」
と、発言したそうですが、沖縄県民にとって暴論としかいえないこの発言を都民はど
のように感じたのか、関心があるところです。

ともかくも、移住者といえども、税金を払って島に暮らしている「県民」です。いろ
んな意見があることは承知している上で、あえていうなら、いま、「県民」一人ひと
りがこの一連の経過を自分の問題として考えることが大切です。

識者の間からは、県民投票の実施や、島ぐるみ闘争に学べという声があがっています。

傍観者でいられる段階はすでに超えてしまったというのが、僕の実感です。

*メディアが報道している関連記事は「なんくる主婦の年中わーばぐち」を参照して
ください。
http://pyoblog.ti-da.net/
  

Posted by 仲村清司 at 16:14Comments(6)

2005年10月25日

進化する沖縄の弁当屋さん

近所に弁当屋さんがオープンしたので、試しに、出勤途中に買うことにした。ズラリ並んた弁当の種類は5種類。いずれも、ご飯の上に揚げ物や野菜炒めなどのおかずがてんこ盛りなった沖縄式巨盛り弁当で、オール350円。

安いよなあ。こんなに安いと繁盛しないわけがないわけで、久茂地や新都心のビジネス街でも弁当屋はいつも大にぎわいだ。

実際、沖縄の人たちは弁当をよく食べているようで、『おきなわデータ算歩』という本によれば、那覇市における1世帯当たりの弁当の年間購入額は17397円(平成13年)。これは都道府県別県庁所在地のランキングで全国2位の水準になるそうだ。

共働きが多い、夜型社会ゆえ夜間もコンビニ弁当を買う人が多い、社員食堂を設置している企業が少ないことが理由とされているが、沖縄には立ち食いなどの簡単に食事がとれる場所がないのも理由のひとつとしてあげられている。


内地では、駅の構内に立ち食いのそば屋やカレーショップなどの店が併設されているため、いつでもどこでも昼飯が食べられる。が、沖縄にはこの手の店がないため、手軽さという点では、確かに弁当がその筆頭的存在になるわけだ。

僕自身もその利便性を活用している一人だが、ただ、いつも弁当だとさすがに飽きてしまう。 

となると、必然的に大衆食堂や沖縄そば屋なども利用しながら、ランチをしのぐしかない。が、わが事務所の周辺はどういうわけか食堂が少ないのであるな。なので、毎日、「はて今日は何にしようか」という昼飯問題にぶち当たっているのだが、その問題を一気に解決してくれる弁当屋を発見してしまったぞ。

そのお店、日替わりやチャンプルーはもちろん、親子丼、焼きめし、それに沖縄名物・味噌汁定食などもあって、メニューはなんと50種類。しかも、驚くなかれ、店頭で注文すればその場で作ってくれるのだ。ちなみに、どのメニューも調理時間は3分ほど。なので、いつもアチコーコーの状態で味わえるのである。

つまりは大衆食堂とほぼ同じ機能を備えた店というわけだが、電話一本で配達もOK。なんというか、なにかとテーゲーな沖縄では考えられないほど効率的なサービスを展開しているのだが、こうした気配りがウケて、いつも満員御礼状態。なにしろ、午後1時には閉店というから、いかに人気があるかわかろうというものだ。

というわけで、この豊富なメニューのおかげで、わが昼飯問題にも明るい兆しが見え始めたのであるが、沖縄そばの出前をしてくれる店もあれば、なお有り難いのですがねえ⋯⋯。

  

Posted by 仲村清司 at 14:09Comments(1)

2005年10月18日

極私的旅の準備法、教えます

前回は旅の準備について書いたが、今回は具体的に何をするのかについてお話しを
したい。

用意するのは、B5判サイズのノート。まずは表紙に目的地と日時を記す。現在、
進行中のノートに沿っていうと、タイトルは「与那国」、日時は「2005/9・9
〜9・12」となる。

で、表紙をめくると、最初のページが右にくるが、ここはいさぎよく白紙のままに
しておく。なぜこんなことをするのかは後述する。さて、次の見開きページである。

ここには両ページにまたがるように、フリーハンドで大きく与那国島の白地図を描
く。次に、行きたいスポットや史跡にマーカーで印を入れ、その上に地名を記入し、
同時に、幹線道路や、目印となるような山や川、ビーチ、港、市役所なども色分けし
て書き込む。この作業が終われば、各スポットの脇にガイドブックや資料で調べた特
徴をできるだけ入念に記入していく。

たとえば、与那国島の西端にある「西崎」はこんな具合だ。「日本最西端の地。台
湾まで117キロ。北西から南西へ約110度の角度に台湾が見える。ただし、夏か
ら秋の天気のいい夕方のみ」

こうすれば、いやでも目的地の概念図が頭の中に入るし、名所旧跡のいわれやビュー
ポイントも覚えることができてしまうのだ。そう、物事をてっとり早く記憶するには
筆写が一番なのですな。

さて、次のページ。ここは左側のページを白紙にする。そして、右ページの欄外に
旅のテーマとなりそうな見出しを記入し、本文部分には資料で調べた事柄やデータを
筆写するのだ。手許のノートでいえば、右ページ上に「与那国の歴史」という見出し
があり、本文には主な事件の年表が書き込まれている。あとはこの繰り返しで、「台
湾との交流」、「島の食べ物とお店」「与那国のビーチ」「泡盛」「漂流民の足跡」
……といったテーマが続く。

左ページを白紙にしたのは、実際に現地を踏んだときに体験した感想や、お店の料
金などを書くためで、こうしておけば、実際に体験したことの食い違いや近似値が一
目瞭然となるのだ。

そして最後に、白紙にしておいた1ページ目に目次を書き込んでいけば完成! 

まさに労作中の労作なのだが、「そんなことして何が面白いの?」と思われる人もいる
だろう。その通り。この作業を根をつめて4〜5日もやると、旅に出るのがいやにな
るくらいクタクタなるのは必至。

ま、僕の場合、半分意地でやってるから、やめるわけにいかないのが真相なのです。
ですから、素人さんはあまり参考になさらないように……。
  

Posted by 仲村清司 at 17:38Comments(2)

2005年10月11日

ロマンス皆無男の旅は書斎から

実は今年の年頭に、まだ訪れたことのない島々を巡るという公約を立てたのだが、
ついにその実現に向けて動き出す運びとなった。

現在のところ、未踏破の有人島は約20で、今年度中は手始めに、何回かにわけて八重山諸島を攻め落とす予定。が、僕の場合、その準備にけっこうな時間を費やす。というのも、僕は旅先の事前調査を徹底的に行う主義。なので、直前までガイドブック、資料、文献、地図などの読み込み作業に専心することになるからだ。

旅というのは、本来、何も調べず行き当たりばったり歩き回るのがスリリングで楽しい。予期せぬ出来事に遭遇することもあろうし、それがきっかけで、見知らぬ人と懇意になる可能性も考えられる。

たとえばの話、乗った飛行機の座席の隣りがハッとするような美女であれば旅の期待は一気に高まる。

このケースの場合、偶然、旅先のバーで再会できればなおよろし。となれば、「おや、奇遇ですね。よろしかったら、一緒にいかがです」と声をかけるのも許されるだろう。そして、「これもなにかの縁でしょうか」「ええ。私、赤い糸の伝説を信じてますの」という展開になれば、もっとよろし。そうして、旅を重ねるうちに、いつしか二人は道ならぬ恋に落ちていく──。 

こういう予期せぬ出来事こそ旅の醍醐味なのだが、僕の場合、どういうわけか座席の隣りは9割5分の確率で中年オヤジか、ビャービャー泣きわめく子どもぐらい。美女と隣り合わせたことなど一度もない。しかも、旅先で落ちたのは恋ではなく、側溝のドブだったりする。

そう、これまでの実績からいって、僕に限っては旅のロマンスなど今後も起こりうる可能性はなさそうなのだ。なので、数年前から予期せぬ甘い期待はすっぱり諦め、実証主義に徹することが僕の旅の作法になったのだ。

やってみるとこれが実に面白く、旅の直前には、自分で描いた地図と分刻みの行程表、それにほぼノート一冊分の資料集が出来上がっている。旅先ではこれらを後追いしていくわけだが、調べたことが目の前で実際に確認できるのだから、名所旧跡の故事来歴、地誌・人物史などがすんなり頭に入るし、旅の楽しみであるグルメスポットもはずすことがないのだ。

しかしそれでも、現場を踏んだ時は、予想以上の美しい風景や人との出会いにふれることがあって、これがなにより楽しい。つーわけで、ロマンス皆無男はただ今、与那国島の資料あさりに没頭中なのであります。
  

Posted by 仲村清司 at 13:48Comments(3)

2005年10月07日

ニュース! ニュース!

沖縄オバァ烈伝・公式ブログスタート!

http://obar.ti-da.net/

そんでもって、公式サイトも本格稼働!

http://www.obar.tv/index.html

全国で見られるよう、バンナイ書き込んで、デージ盛り上げていきまひょ!  

Posted by 仲村清司 at 17:44Comments(0)

2005年10月05日

緊急なる大切なお知らせ

関西方面の皆さん! 


あの「沖縄オバァ烈伝」がいよいよ明日から(木曜深夜2時56分・その他の週は深夜2時20分〜)、読売テレビで放送されまっせ!

第1回は「渡る世間はオバァだらけ」「カマド一家の墓参り」の2話と、
「オバァの知恵袋」。

「起きてられへんわ」という人は、録画してや。
ついでながら、阪神タイガース優勝バンザイ! 日本一もたのむで!


「沖縄オバァ烈伝」公式サイト
http://www.obar.tv/

「番組表」↓
http://www.ontvjapan.com/program/gridChannel.php?tikicd=2345&ch=0507  

Posted by 仲村清司 at 20:40Comments(13)

2005年10月05日

ゴーヤーのチュラチュラ料理はいかが

この夏は、朝はゴーヤー茶、昼はゴーヤー弁当、晩酌の友がゴーヤーチャンプルーと、とにかく朝から晩までゴーヤーをよく食った。

それでもまだ飽きがこない。これもやはり、ゴーヤーが美食とはかけ離れた存在だからなのだろうなあ。だってホラ、どんなに美味しいステーキや寿司でも三食続けては食べられないし、すぐに飽きがくるでしょうが。

そう、「美人は三日で飽きる」という言葉があるように、「美味」も飽きがくるのが早いのですよ。

しかも、ゴーヤーはあれだけいい仕事をしてくれるのに、容貌は気の毒なほどブサイク。とはいえ、ゴーヤーがバナナのように小股の切れ上がった粋な姿(表現がだいぶ怪しくなってきたけれど)をしていたら、人からこれほどまでに好かれなかったと思うのだ。

ブサイクなのに、よくつくしてくれる。この点こそが、ゴーヤーのいじらしいところで、だからこそ人は「神よ!なにゆえ、ゴーヤーにあの醜い姿を与えたもうたのか」と天を仰ぐのである(でもないか)。そして、この同情心が恋慕の情へと変わり、やがては無償の愛へと昇華していく……。そう、「ブスは三日でトリコになる」という言葉通り(そんな言葉はないけれど)、ブサイクな容貌はしだいに人を魅了していくのですな。

しかしである。「馬子にも衣装」という俚諺もある。どう工夫しても美しい盛りつけにならないチャンプルーばかりでは、ゴーヤーがあまりに不憫というもの。

たまにはその美しさに思わずため息が出るようなゴーヤー料理を作ってみたい。炎の料理人(僕のことです)は、ある真夏日の昼下がりにフトそう思い立ったのである。

で、試行錯誤を繰り返した結果、ついに料理が完成したので、今回はその秘伝のレシピをご紹介しましょう。

まずは、薄切りにしたゴーヤーを炒めて塩胡椒で味を調える。ゴーヤーに火が通ったら、フライパンの端に寄せ、空いたスペースに溶き卵を流して大きめの炒り卵を作り、両者をいったん皿に取り出す。

同じフライパンに、市販の鶏ガラダシを入れ、煮立ったら水溶き片栗粉を加える。トロミが出てきたところで、ゴーヤー、スクランブルエッグ、四つ切りにしたプチトマトを入れて混ぜ合わせてグツグツしてきたら、はい出来上がり!

ゴーヤーの深い緑、卵の淡々とした黄、プチトマトの燃えるような赤が皿一杯に散りばめられて、それはもうチュラチュラ。ゴーヤーも、「あたしって、こんなにキレイだった?」と、ドングリマナコでどぎまぎしておりましたぞ。

*ニンニクやすりゴマで風味をつければ、なおよろし。お試しあれ。  

Posted by 仲村清司 at 20:11Comments(3)