てぃーだブログ › 仲村清司の沖縄移住録@2018 › 2008年08月

2008年08月25日

俺たちに明日はなかったのだ!(実録少年時代)

たとえばで、ある。
自分の両親が生みの親だと信じていたのに、
「おまえ、自分がもらい子だったことを知らなかったのか」などと、出生の秘密を多感な時期に明かされたらどうするか。それもふだん毛嫌いしている人から・・・。

自分の知らなかった素性や過去を、他人から知らされ、侮蔑されるというのは怖いもので、僕の場合、これが中学1年のときに突然自分の身に起こった。

その日、僕は入学して以来初めて遅刻をし、有無をいわさず生活指導室に連れていかれた。担当の教員は鷲塚といって、ぶ厚いメガネの底から目を細めて射るように人の顔を見るような男だった。

戦時中は特高だったという噂もまことしやかに流れていたが、
いつも棍棒を持ち歩き、
問題生徒をつかまえては生活指導室に連行するような教員だった。


「生徒手帳を見せなさい」

鷲塚は口の恥に笑みをためながら、両足を組んだ姿勢で開口一番そういった。
そうしてメガネをはずし、生徒手帳の氏名・住所の欄を食い入るように眺めながらこういったのである。

「ニンベンの仲村ということは、沖縄かあ。今日の遅刻者は沖縄と朝鮮ばかりや。実に第三国人らしい行いだ」

鷲塚はそれから二、三なにか質問をしたようだが、僕が押し黙っていると、いまいましそうに、「もういい、教室に戻れ」と命じた。

廊下を歩きながら、「第三国人」という言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。当時、家の近所のバーやスナックには「沖縄人お断り」の札をはったお店がいくつかあってので、沖縄人が差別されていることは知っていたが、面とむかって「第三国人」などと、侮蔑されたのは生まれて初めてのことだった。
 
もともと此花区は沖縄、在日韓国・朝鮮、奄美出身者、船上生活者といった被差別者の多い地域だった。そのため、ウチの両親は僕に差別を味わせないために、自分たちが沖縄出身であることを隠しながら僕を育てたのだが、こちらもそれほどアホではない。その頃はもう薄々気づいていたのである。
 
とはいえ、なにゆえ沖縄人が差別されているのか、その理由はまだ理解していなかった。哀しいかな、ここはやはり中学1年生という幼さの限界である。しかし、こういう理由定かでない理不尽な扱いを受けた少年の突入していくべき方向は、いつの時代もきまっいる。「ワル」しかないのだ。

(おーし、沖縄人である以上はきちんとぐれなければならない! 心おきなく、思う存分、ぐれてぐれまくってやろう!)

都合のいいことに、わが中学は大阪でも一、二を競うほど荒れに荒れにまくっていた。
なにしろタバコは教室で吸い放題で、吸い殻が廊下に散乱し、黒板は短刀の投擲の格好の的になっていて、いたるところ穴ぼこだらけ。むろん、授業など不可能。どの授業も半自習状態で、帰宅する教師は殴られるのをおそれて、タクシーを校門に待たせていたくらいである。

仲間も在日韓国・朝鮮人を筆頭に、沖縄、母子家庭、父子家庭、売春まがいのことをやっているホステスを親にもつ家庭をはじめ、もはやこれ以上はぐれるしかないだろう、という要素をいくつもぶらさげた逸材がいくらでもいた。
 
差別と貧困と劣悪な環境は、ぐれる生徒の燃える闘魂に油をそそぐようなものだったのだ。しかも、登下校路には暴力団事務所があって、彼らがぐれた連中を飲み屋に誘い込んでは一本釣りしていく。中学を卒業してすぐに入れ墨を入れて「組」に入るコースは学校と直結していたといっていい。

ともあれ、こうして僕は殺意ギラギラの荒れる中学生に仲間入りしていくのであるが、標的はむろん鷲塚だった。そうして、いつかアイツをこの手でヤッてやろうと密かに決意を固めたのであった。(続くかどうかな?)



    

Posted by 仲村清司 at 19:41Comments(23)

2008年08月22日

実録少年時代

唐突に申し上げるのであるが、
少年の頃、僕は手のつけられない「ワル」であった。
「ワル」とはいまでいう「ヤンキー」的小僧であるが、
当時の大阪にはヤンキーという言葉はなく、
悪ガキは=ワル=悪であった。
そもそも、ヤンキーという西洋言葉など表現として生ぬるい。
近似的な言葉を探せば「極道」であったろうし、
事実、やっていることは「組」に入っていない極道そのものであった。


先日、自分のことが書かれているブログをつぶさに読んでいたら、某ウエちゃんというお方が、(そのスジでは有名な人で、本の雑誌社から本も刊行されているヤクザなタクシー運転手兼作家さん)、僕のことを書いてくれていた。

いわく、「此花区四貫島出身の在阪うちな〜んちゅ2世で、阪神電車の西九条駅や千鳥橋駅界隈でブイブイと言わしてた、此花少年愚連隊の 仲村清司やんけぇ!」
「ご本人の著書『ザ・ウチナーンチュ/沖縄人解体真書』(仲村 清司/双葉社)…の中でも此花少年愚連隊時代の話を詳しく書いてはります。ここで平に謝ってへんかったら、仲村清司さんが大阪へ帰って来はった時にウエちゃんは絶対に南港へ沈められます」


南港に沈めるはともかくとして、西九条駅や千鳥橋駅界隈でブイブイ言わしていたことは事実で、当時の僕は『沖縄学』(新潮文庫刊)にも書いているように、このままいくと「不良になるか左翼になるしかない」と、おそろしく心が荒れすさんでいた。


実際、シャブ以外はすべてやったし、その悪行から、当時の仲間の何人かは中学卒業後すぐに入れ墨を入れて組入りしている。いや、もっとはっきりいうと、いまでもミナミで組をはっている「傑物」もいるし、なかにはハデな抗争をやって無期懲役(求刑死刑)をくらったヤツもいるのだ。

いちばんの親友だった中西クンは高校に入って1年も経たないうちにアル中になり、結局、入院しても酒がやめられず17歳の若さで肝硬変で亡くなっている。

彼のことを考えると今でも胸が痛むのだが、
当時を振り返るとまさに冷や汗もので、
僕らは胸のうちにそれぞれ夜叉を抱えていた正真正銘のワルであった。ま、それはともかく、僕がブイブイと言わしていた時代のことを某ウエちゃんが知っていたということは、もしかすると僕と彼は駅前かどこかでなにか抗争をやったのだろうか。よく思い出せないが、ともあれ、よく生きていたものだと思う。

その後、僕は自分が思いこんだ通りに不良少年から極左学生という順当なコースを辿り、多感な時期を「充実」させていくわけだが、困ったことにいまでも当時の気分はいまだ抜けきっていない。

なにをやったかはここでは書けないことが多いので、これ以上は伏せておくけれど、少年から中年になったいまも気分が変わらない第一の理由は、自分のルーツが「オキナワ」だったからだ。(続く)   

Posted by 仲村清司 at 18:38Comments(0)

2008年08月17日

『沖縄イメージを旅する』は今夏の課題図書だ!

年間観光客500万人を突破し、すっかり定着した観のある沖縄人気。沖縄ブームは一過性のものではなかったことを、はからずも証明したかたちになっているが、日本人の沖縄に対する熱烈なる視線は、柳田國男や折口信夫らの民俗学者を中心に、大正時代から存在した。

年数に換算するとおよそ100年。その戦前の南島ブームを巻き起こした柳田國男から、NHK朝の連ドラ「ちゅらさん」、昨今の移住ブームにいたるまで、100年に及ぶ沖縄イメージの流れを体系的かつガイドブック的要素も盛り込みながら、
わかりやすく解説したのが『沖縄イメージを旅する』(中公新書ラクレ・多田治著)。

http://www.chuko.co.jp/new/2008/08/150287.html
http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%92%E6%97%85%E3%81%99%E3%82%8B%E2%80%95%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E7%A7%BB%E4%BD%8F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%BE%E3%81%A7-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AC-287-%E5%A4%9A%E7%94%B0-%E6%B2%BB/dp/4121502876

本書の特徴は単に歴史的経過を追うのではなく、日本人はこの100年間のあいだ沖縄をどうみてきたのか、すなわち、「沖縄の見られ方」を著者ならではの緻密な観察眼を駆使して、縦横に探っている点だ。

それだけでも労作といえる一冊だが、著者は沖縄に移住した経験をもつ人で、実は僕とも濃厚な接点がある人なのだ。

そのことについては、P166から始まる「新城和博から仲村清司へ」の項に詳述されている。いわく、

「新城和博を引き継ぐ形で、2000年代の全国的な沖縄ブームの火付け役となったのが仲村清司だ。私は彼にも2004年8月、琉球大生の教え子とともにインタビューを行った〜」とあり、このいわば「仲村清司論」が十数ページにわたって展開されている。

ワタクシごとで恐縮だが、「ふむ、なるほどオレはこんなことを書いてきたのか」と、うなづくことしきりで、お世辞抜きでたいへん勉強になったし、よくぞここまで調べ尽くしたなあと感服したしだい。

ともあれ、本書は沖縄移住者はもちろん、沖縄通い婚、沖縄フリークは必読。日本を映し出す鏡として沖縄が過ごした100年の日々が丸ごと理解できる値千金の一冊である。






  

Posted by 仲村清司 at 14:08Comments(3)

2008年08月08日

可及的速やかなる行動を! 緊急・一万人署名にご協力を!

泡瀬干潟と浅海の埋め立て中止を求める署名行動を展開中です。
web署名を掲載したので、こちらもご利用ください。

http://www.shomei.tv/project-97.html   

Posted by 仲村清司 at 13:43Comments(0)