てぃーだブログ › 仲村清司の沖縄移住録@2018 › 2004年11月

2004年11月24日

良薬は口にも鼻にもまずし!

人がどんなウマイものを食ったという話より、どんなマズイものを食ったという話を聞く方が好きなタチである。そんでもって、そのマズイものをぜひとも食ってみたいと思うタチである。

といっても、生きたナメクジやミミズの躍り食いを食べろといわれても困るのだが、ここでいうマズイものとは、見かけが気色わるかったり強烈な匂いがするけれど、食ってもお腹をこわさず、ある民族や地域ではフツーに食されているものをいう。

実際、僕は人が嫌がるであろうものをいろいろ食ってきたが、結局のところ、ウマイマズイという判断はあくまで人の好みで、慣れてしまえばどんなものでも美味く思えてしまうものばかりだった。

が、しかし──。これだけは絶対に口にしたくないマズイものとついに出会ったしまった。こればかりはたとえ手足を縛られ、なぜか網タイツの覆面美女にムチで叩かれかれて、無理やり口をこじあけられても口にしたくない。それどころか、「口にしないともっとひどい目にあわせるよ!」と脅されても、こればっかりは、「あぁ、もっと叩いて!もっといじめてぇ」と身悶えながらムチで叩かれる方を選ぶに違いない。

話が怪しい方向に流れてしまったが、とにかくマズイったらマズイのだ。それは何かというとノニジュースである。ノニはいま全国で大人気になっている沖縄発の健康食品だが、その匂いたるや、腐ったブルーチーズに米粕を加え、湿度98%の真夏のヤギ小屋で一週間熟成させたような感じで、一口ふくんだだけで頭がクラクラしてしまった。

ただ、ノニの名誉のためにいっておくと、これには自然治癒力を高める140種類以上の栄養成分が含まれていて、「良薬は口に苦し」という言葉そのままに、体にはヒジョーにいいのだそうだ。事実、知り合いのなかにはノニを毎日飲み続けて血糖値が300から90に下がった人もいるくらいで、改善症例はハンパでないほど多いらしい。

僕自身も検診でなにかとひっかかっているクチだから、本当は飲んだ方がいいのだけれど、これはやはりつらい。人の好みの問題を超えているように思う。

しかし、このマズサを体験したおかげで僕はひとつお利口になった。そう、ノニを飲まなくてすむようこれからは健康に精進しようと決意したのである。

というわけで、不摂生を続けている読者諸氏に告ぐ。まずはノニを試してみたまえ。
ひと口飲めば、あなたもこういうものに頼らず生きていきたいと願うに違いない。  

Posted by 仲村清司 at 17:29Comments(0)

2004年11月17日

男が励むストレス解消料理

世の中にはストレスが溜まるとバカ食いする人がいるが、僕の場合、昔からのクセというのか習性というのか、ストレス過多になると無性に料理を作りたくなる。
それも自分のために作るのではなく、人に供するための料理だ。そうなると、自然と凝った料理になるので、自分でいうのもなんだが、出来映えも味もなかなかのものに仕上がる。

料理嫌いな妻にとってはこれが好都合になっているようで、
僕が台所に入るとソファーにごろり横たわるのが常。
そう、できあがるまで一眠り決め込もうという魂胆なのだ。
ここで手伝ってくれれば可愛げもあるのだが、アレの腹の中は
『しめしめ、今日は美味いもんが食えるわい。クフフ』といったところなのだろう。

まったくもって腹立たしいヤツなのだけれど、
ここで文句をいえば、またストレスを溜め込むことになるので、
こちらは黙々と料理に励むことになる。書きながら、
損な役回りをしとるなあという気もしているのだが、まあこれも運命というものなのでしょう。

で、先日もストレスをいっぱい溜め込んで本格料理に挑んだのだが、
なんと3時間もかけてタイ料理、純日本料理、韓国料理など一気に4品も作り上げてしまった。
よほどストレスが溜まっていたのだろなあ。作りながら自分でも驚いてしまったぞ。

それはさておき、なかでも上出来だったのは、「カーオマンガイ」というタイ料理だ。
カーオとはタイ語で米、マンが油、ガイが鶏で、すなわち「鶏肉の炊き込みごはん」だ。
ただし、沖縄風にアレンジしたので、実際は「カーオマンガイ・ジューシー」となる。


作り方はそれほど難しくない。
まず、鶏の胸肉500グラムと大根と人参をイチョウ切りしたものを
1リットルの水でアクを取りながら煮る。このとき匂い消しに生姜を一かけ入れるのがポイント。
煮具合は材料に火が通ればOKで、鍋の汁はそのまま冷ましておく。
次に米2合をといで、米を炊くのに必要な分だけ鍋の汁を取り出して炊飯釜に入れる。
味付けに塩、ナンプラー少々を加え、米の上に鶏の胸肉を置いて、あとは炊飯釜に入れて普通に炊けばOK。


で、炊飯している間にフーチバーを細かく刻んでおいて、
蒸らし時間に入ったら、そのフーチバーと大根と人参を加えてそのまま10分。これで出来上がり。
タイ料理の場合は仕上げにパクチー(コリアンダーの葉)を散らすのだが、沖縄ではフーチバーの方が馴染みがあるし、なにより香りがいい。で、あとは鶏肉を食べやすい大きさに切って、ごはんごと深めの皿に盛れば見事なパーティ料理に大変身。

というところで、妻が「ふぁーい」と脇腹をボリボリかきながら、
見はからったように、寝ぼけ顔で起きてくるのですな。

わが家ではこういう展開がもう20年近く続いているのだが、当たり前になりすぎたせいか、
最近では僕に対する感謝の言葉や誉め言葉もなくなっている。
こういうことでホントにストレス解消になっているのかどうか、ふと、
素朴な疑問に苛まれる今日この頃なのであるが、まあいいか。  

Posted by 仲村清司 at 17:31Comments(0)

2004年11月10日

泡盛酔いどれコメント

行きつけのオデン屋でちびちび泡盛を飲んでいたら、
突如、東京の大手週刊誌の記者から電話がかかってきた。

「なんだ、どうしたんだ?」と話を聞くと、
なんのことはない、昨今、内地で急速に増えている泡盛居酒屋の件だった。
その記者いわく、
「泡盛居酒屋が大ブームになっているのでその特集を組みたいのだが、ついてはなぜこれほどまでに沖縄の居酒屋が人気になっているのか理由を知りたい」
というのである。

そうかあと改めて感心させられた。
いまや泡盛居酒屋は週刊誌ネタになるくらいの存在になっておるのですな。

僕はかねがね沖縄ブームが頂点に達するときは、
泡盛が大人気になっているだろうと推測していたのだが、時代はまさにそこにきているようだ。

沖縄人気は当初、オキナワンポップスから始まり、次にゴーヤーに代表される食べ物、
健康食品と次々と中身を変えながら連鎖的にその流れをつくってきた。
とくれば、その次にくるのは酒文化、すなわち泡盛しかないではないか。

しかし、この泡盛が誤解多き酒で、これまでは臭いだの強いだのといわれなかなか定着しなかった。実際は、世界に誇る高品質の酒なのだが一度ついてしまったイメージを覆すのは非常に難しい。


僕はこの巷説を覆すには女性が飲んでくれる以外ないだろうと考えていたのだが、沖縄人気の定着で泡盛のことをよく知る女性が増え、このことが現実となった。
事実、東京の泡盛居酒屋の繁盛店は客の半数以上が若い女性で占められていると聞く。


「なので、違いのわかる女性が泡盛居酒屋ブームの火付け役になっていると思うのでありまーす」などと酔った頭でベラベラしゃべったのだが、もうひとつ忘れてはならない重要な要因がある。

どういうことかというと、泡盛には沖縄の文化がたくさんくっついてくるということだ。
つまり、泡盛が飲みたいと思えば沖縄の音楽や沖縄の食べ物、
そして沖縄ならではの風情が不可欠となり、
店自体に沖縄文化総体を匂わす装置が必要になってくるのだ。

ところが、日本酒や麦焼酎であればこんな装置は必要はなく、普通の居酒屋でも何のそん色もなく飲めてしまう。ここが泡盛が他の酒と決定的に異なる点で、いいかえれば、泡盛を飲むことは沖縄の風情にふれるということにダイレクトに通じてしまうのだ。客にとって、おそらくこの点がこれまでの酒にはない心地よさを生んでいるのだろう。


などと、引き続き10分ほどしゃべくりまくったのだが、
酔っぱらいの話はしつこい。加えて同じ話を何度も繰り返す。

ふと気づくと、「繰り返しますと若い女性なのですよ。女性がですね、いや違った。泡盛がつまりは沖縄文化総体を女性と一緒に、沖縄ブームをつくりあげ、いや違った。つまり繰り返しますと、ベラベラ」などとワケのわからことを繰り返していた。

たぶんその記者は話を聞く相手が違ったと後悔していたことだろうなあ。
すまぬすまぬ。うまくまとめて下さることを心から祈っております。  

Posted by 仲村清司 at 20:18Comments(0)

2004年11月04日

そばを求めて三千里

体がすっかり「沖縄そば化」している。
といっても、体がやせこけてヒョロヒョロになったという意味ではござんせん。

要するに、沖縄そばなくして生きていけない体になってしまったのだ。

元々、僕は「一日一善」ならぬ「一日一麺」主義を
激しく貫いてきた熱狂的な麺類至上主義者だから、
麺類であればなんでもこよなく愛せるのだが、それでも好みはあったのだ。

僕のなかの「輝け!麺類大賞ベスト3」は、
1位が「江戸風ラーメン」、2位が「うどん」、3位が「日本蕎麦」で、
これが長年の不動の順位であった。

が、8年も沖縄で暮らしていれば、
やはり沖縄そばが体の中で血肉化していくというのか、
昔ほどラーメンやうどんに思い入れがなくなってしまったのだ。

体も正直に反応している。
人間というのものは、体調が絶好調というときよりも、
不調な状態から好転するときに、本当に食べたいものが欲しくなるものだ。

酒飲みなら賛同してくれるはずだが、
たとえば二日酔いから立ち直りかけた昼下がり、というのがその状態だ。
こういう場合、これまでは「ラーメン!」だったのが、
いつしか「肉体疲労時は沖縄そば!」と、思うようになっているのである。


とはいえ、沖縄そばならどこでもいいというわけでない。
麺類至上主義者を名乗るからには、
やはり、自分なりに厳選した店というのがあって、このセンは譲れない。


ところが、こういう店はどこも人気店で、
昼過ぎには売り切れということがあるのだ。
こういう場合、内地のように「うどん」や「蕎麦」があれば、
麺類至上主義者も妥協点を見出せるのだが、
沖縄のそば屋にはそういう代替メニューがない。


しかも、僕のような麺類至上主義者は、
「今日は沖縄そば!」と決めたら、
それ以外はNO! 断じてそば一点で勝負するしかないのである。

自分でも問題のある性格だとは自覚しているのだが、
ともかくもこうなると、麺類至上主義者は二番候補の店に駆けつけるしかない。
が、最近は名店は観光客にも知れわたっていて、
満員で入れないことが多いのであるな。


となると、少し遠出になるが、我が秘蔵の穴場店に向かうしかない。
ここなら入れるはずだ。

しかしである。
こういうときに限って、間が悪いことに「法事のため本日臨時休業」だったりするのである。

「さて、どうする」と天を仰ぐひまもなく、
麺類至上主義者は新たな新天地を求めて旅立つことになる。
そう、沖縄そばにハマッた麺類至上主義者にとって、
この土地は試練の地なのである。  

Posted by 仲村清司 at 17:21Comments(0)