てぃーだブログ › 仲村清司の沖縄移住録@2018 › 2007年09月

2007年09月30日

ヤマトの無知と無理解ゆえに⋯⋯

この記事は実は他の媒体でも書いたのだが、重要な問題と思えるので、加筆して掲載することにした。

高校歴史教科書に記述されている「集団自決」における旧軍の関与を示す記述を、来年度から削除させた文科省に抗議する集会に11万人もの人々が結集した。同じ趣旨で開かれた宮古・八重山の大会を加えると11万6千人にも達し、県民の実に約1割が参加したことになる。

ちなみに、95年10月に開催された米海兵隊員3人による少女暴行事件に抗議した県民総決起大会の参加者は約8万5000人。参加者の数だけでいえば、戦後最大規模の集会になり、大会のもようはNHK(沖縄放送局)や民放1社でも逐一ライブ中継された。ヤマトではまず考えられない数の集会、報道のあり方といえるのだが、いずれにしても、史実の歪曲をたくらむ文部科学省に対する沖縄民衆の怒りはいまや沸点に達したといえるだろう。

文部科学省が訂正に応じるかどうかはいまだ霧の中だが、僕はこの間の県知事の態度に釈然としないものを感じていた。

沖縄では5月中旬から自治体議会による抗議の意見書があいついで提出され、6月28日には県議会を含む全42議会が意見書を可決したのに、仲井真弘多知事のみは「テーマが大会になじむのか」と、自らの参加をしぶる考えをしめしていたからだ。

なじむもなにも、沖縄戦の歴史事実の実相が権力によって書き変えられようとしているのである。自分たちの郷土の史実が国家によって改ざんされようとしているのだ。だからこそ、県民大会が企画されたのではないか。

文科省の教科書調査官の言い分はこうである。
「集団自決をせざるを得ない環境にあったことは事実であろうが、軍隊から何らかの公式な命令がでてそうなったのではないということで見方が定着しつつある」

いったいどこからそういう見方がでてきたのか。
沖縄には集団自決の現場にいた人が健在している。体験者の証言はむしろ軍隊の強制を明確に示す発言をしているし、実際そうでなければ、自決の道具となった軍隊の大切な弾薬である手榴弾を民間人が持ち得るはずがない。ところが、文科省はその生き証人に聞き込み調査もせず、軍隊の関与を削除することになった経緯もまったく述べていない。


しかも、集団自決に日本軍が関与していないとなれば、 これまで関与していたと書かれていた教科書はウソということになる。あるいは、集団自決をかろうじて生き延び、た人々の証言も全部ウソということになる。

知事はこの点、どう考えたのか。教科書は次代を担う世代を育てるためのもっとも身近で大切な教材である。しかも、沖縄戦は軍隊は民衆を守らないという史実を満天下に示したイクサだった。これほど今後の沖縄の行き方来し方になじむ問題はないではないか。

僕は知事の歴史認識の欠如ぶり、コトの重大さに対する危機感の低さに唖然とさせられたのだが、8月になると知事は態度を一変させる。 県議会が参加を決めて大会の開催が確実視されると、手の平を返すようにして参加を表明したのである。


沸騰する世論が鈍重な知事を後押しした格好になるが、もともと消極的だったせいか、県民大会の決意表明も原稿の棒読みで、まったく覇気がなく、この問題に彼は本気で取り組む気があるのかどうか、正直疑わざるをえなかった。

この島では、規模は異なるにせよ、ことあるごとに県民大会を繰り返し開催してきた経緯がある。他府県ではありえないことである。
ところが、何万人もの参加者を集め、何万人もの怒れる声をあげても、沖縄問題は山積したままなのだ。 そしていまや、沖縄の歴史そのものが、権力側に塗り替えられる寸前まで、沖縄問題の状況は悪化しつつある。


ヤマトの人々はいう。

「気の毒だとは思うけれど、沖縄の人たちの声が伝わってこない」

冗談ではない。この島の人々は戦後も復帰後も、ヤマト側に沖縄の惨禍の実態を繰り返し発信してきたのだ。他府県では希有といえる県民大会を何度も開催してきたのも、そのためである。

繰り返しいわせていただく。

人を参集せしめ、世論が構築できれば、今回いみじくもそうであったように、頼りにならない知事ですら動く。国内植民地と化し、主権も奪われたようなこの島にあっては、現状を伝えるための民衆の対抗手段は、唯一、集会しかない。それも、何万人もの人を集める集会以外に方法はないのだ。

「にもかかわらず、ヤマトだけはいくら声を大にして叫んでも思いは届かなかった」
ヤマトの人々のあまりの無理解ゆえに⋯⋯。これが沖縄民衆の本音であるまいか。   

Posted by 仲村清司 at 14:32Comments(2)

2007年09月17日

もううんざりでっせ、灰色の夏

台風11号に続き、12号がまた発生。沖縄近海上をうろうろしている。
那覇も今朝から風雨が強まり、ウォンウォンと風の遠吠えが耳についてはなれない。
今年は梅雨明け10日ほどがピーカンの夏日和になっただけで、沖縄本島を直撃したからは、
飽きるほど空模様がぐずつく日がいている。
なんだか、梅雨の最中に大雨や台風の日がはさみこまれているみたいで実にうっとうしい。

沖縄で暮らすようになってからは地元民化して、傘を持ち歩かなくなったが、
今年は8月にはいってから傘を持ち歩かない日がないといっていいくらい、
毎日雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨。週間予報をみても、週末までまた傘マークのオンパレード。

頸椎ヘルニアの持ち主は気圧が下がると、腕がしびれたりするが、僕もそのクチである。
昨日は青空が雲間からのぞくまずまずの日和だったのに、夕方から突如左腕がしびれだした。
そばにいた内地から来沖した友人に、
「あと3分ほどで雨が降るよ」と、予言したところ、
ドンピシャ、数十秒後にみるみる雲が堆積を増し、一陣の風が
さっと木々の上を吹いたとたん驟雨となった。

短時間予報なら僕はいま気象予報士より天気の的中率が高い自信がある。

それにしても、天気がわるすぎる。沖縄の快晴率はもともと全国ワースト1ではあるのだが、
そんなデータを気にさせないくらい、本来の夏空は身が染みるように紺碧色でが日射しも眩しい。

ときおり天空を駆け抜けるスコールもいかにも南国的で、
バケツをひっくり返したような勢いで降りながらも、ほんの数分であがり、蝉の声とともに
すぐに眩しい日射しが戻ってくる。

雨に濡れた木々の緑はいっそうみずみずしく照り映えし、深みを帯びる。

こういう降り方なら大歓迎だが、
今夏はそのスコールもおかしい。雲がおもくたれ込んで停滞し何時間も降り続ける。
スコールというより局地的な豪雨といっていい。

そのため、何度も川が氾濫して道路が冠水し、局地的に大きな被害が
でたことは記憶に新しい。

内地は蒸し暑いようだが、こちらは昨日などは吹く風が肌寒く感じられるくらい、
秋の気配がしのびよっている。

移住して10年を超える月日が経過したが、こんなに不順な天候が続く夏は初めてのことだ。
ついでながら、部屋は一日中、除湿しないとカビだらけになってしまう。
そのせいで、8月の電気料金はなんと11152円。
一万円を超えるまで電気料金が跳ね上がったのも初めてである。

大げさでなく、これほどうっとうしい夏を体験していたら、僕は移住など考えなかったに
違いない。

窓を外を見やると、また、風が吹き荒れ、大雨が降り出した。どうりで腕がビンビンしびれるわけだ。
なんだか、本気で青空におおわれた土地に移住したくなってきたが、
大金はたいてせっかく沖縄にやってきた観光客は、もっとくさった気分になっているだろうなあ。
なんせ、この3連休の間、
ずっと雨でホテルに閉じこめられたままなのだから。

ともあれ、やりきれない天気である。ふう〜。  

Posted by 仲村清司 at 18:35Comments(11)

2007年09月10日

ペンネと日本人

那覇在住のスペイン系スペイン人の友人が主宰するホームパーティに招かれた。
県立芸大に通っている大学院生で、彼とは行きつけのバーで知り合った。
前々からいつか自分の故郷の民族料理をご馳走するからとうれしい誘いを受けていたのであるが、
それが昨日だったというわけ。

素人ながら料理はすべて手作りで、メインデイッシュはパスタ。
ペンネが入ったミートグラタンをなんと土鍋で焼いた料理。見るからに手の込んだ料理で、そのぶんズドンと美味かった。

ワインで舌鼓を打ちながら、
「なるほど、いまの日本人に足りないものはこれかもしれないな」と思った。

料理はその土地の民族のアイデンティテイを形成する要素であることはいうまでもない。
難なく民族料理を作り、披露できる彼にはそういうアイデンティテイが刷り込まれている。

翻って日本人はどうか。

なにしろ、この国の人たちは子どもたちの時分からファストフードで育てられている。
そのせいで、母親になっても、父親になっても、定年になっても、
ろくに米も炊けず、おにぎりも握ることができず、満足にダシもとれない人間がわんさといるというではないか。

仮に彼のように海外で暮らしたとして、
きちんとした日本料理(田舎料理でも郷土料理でもいいのだが)を
供するホームパーテイが主宰できる人がどれほどいるだろうか・・・。

と、次々に料理を出してくれる彼を眺めながらふいにそう思ったのであった。

そうして、やたらきな臭いナショナリズムや美しい国づくりを押しつけてくる
首相の顔を思い浮かべながら、
この人には果たして郷土の味噌汁がちゃんと作れるだろうかと思った。
その上であの「美しい国」を提唱しているのだろうか。なんだかとても疑わしいと思った。

ま、そういうわけで(どういうわけかよくわからんけれど)
はからずも昨夜は外国人にパスタを馳走になりながら、日本の行く末来し方を考えてしまったのであった。

なにやら、脈絡のないことを書いている気もするけれど、
雑感だから、ま、それはそれでいいか。
  

Posted by 仲村清司 at 18:44Comments(6)

2007年09月03日

お久しぶりです

体調不良、雑務多忙、諸行無常(なんのこっちゃ)、その他諸々の諸事情に追い込まれ、
しばらく更新していなかったのですが、どうやら再開できそうです。

読者の方々にはご迷惑をおかけしました。すみません。

なんせ、一時期は血圧が上が80まで落ち込み、フラフラ状態が続いていたものですから、
書こうにも書けなかったのです。

といいつつ、行きつけの店には顔を出すようにしていたのですが、
まずはそのあたりの事情からボチボチ書いていきたいと思います。

今後ともどうかよろしく。  

Posted by 仲村清司 at 13:40Comments(8)