てぃーだブログ › 仲村清司の沖縄移住録@2018 › アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。

2014年04月11日

アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。

普天間まで足を伸ばして、路地裏を歩き回った。
沖縄に17年も暮らしているのに、
普天間の裏通りを歩いたのは初めての体験。

昭和のたたずまいを濃厚に残した町並みは
よく掃かれ、ちりひとつ落ちていない。

普天間宮の門前町という誇りがそうさせているのか、
路面店は寂れてはいても、すさんでいるわけでもなく、
いい意味での秩序を強いられているような気分のする町だった。

ふいに出くわした意表を突く看板に唖然。

アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。

真似のできない品揃えとはこういう店のことをいう。
普天間地区はなかなかやってくれます。
ちなみにこのお店、スッポンもありましたぞ。

沖縄はユニークなスナックの店名が多いけれど、
すずらん通りにもこんなお店が。素直ににんまりできる看板だ。

アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。


新開地と呼ばれる戦後に発展した町並みを歩くと、
古食堂があった。その名も『三角食堂』。

アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。


中に入ると、もじどおり昭和レトロな雰囲気。
店内の空気も空閑として、時間を止めているような感じである。

アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。


そんな空気につられるように、昭和の代表食であるオムライスを注文した。

アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。


うまい! けど、多すぎる! 
わしわしと口にかきこむ最中も、
ヘリコプターがつぎつぎと飛来する音が聞こえてくる。
普天間基地が目と鼻の先にあることを実感する。
何気なく壁を眺めると、見覚えのあるステッカーが目に入った。
と、その矢先、耳奥にずしんと響く重低音が近づいてきた。

アメリカ世が続く普天間の裏道を歩く。


ここはオスプレイが真上を通過する食堂だったのだ。
聞けば、建物は戦後5年目に建てられたものだという。

アメリカ世が続いたままの普天間の昼下がり──。
ただその場にいるだけで、オキナワの戦後の何たるかが伝わってくるような気がした。


Posted by 仲村清司 at 18:07│Comments(3)
この記事へのコメント
普天間懐かしいですねぇ〜
普天間中学校 普天間高校出身なので 毎日友達とフラフラ歩いてましたよ〜

高校卒業してから 県外組になり 一番びっくりしたのが 米軍基地の金網のない世界Σ( ꒪□꒪)‼ それと静かな環境Σ( ꒪□꒪)‼ しばらく慣れなかったですね静かすぎて( ̄- ̄;)

結婚して子供を連れて帰省したときなんて 子供たちは米軍基地の騒音に毎回びっくりしてますが 基地のある大変さを少しでも実感してくれればと思います。
Posted by ふくよかちゃん at 2014年04月12日 09:12
ふくよかちゃんさま

今日、もう一度、普天間を歩いてきます。
騒音と同居している現実は他の地域には実感できないことです。
沖縄がまとまれない現実もこの問題の解決をややこしくさせているような気がします。
Posted by 仲村清司仲村清司 at 2014年04月12日 10:03
基地のまわりをグルリとドーナツ状に暮らす宜野湾市は普天間界隈と大山 伊佐 伊佐浜あたりの海側とでは 開発の状況がまるで違うので海側もぜひ歩いてみてくださいませませ(^O^)

海側は大型店舗ができて若い人には暮らしやすくなりましたが 昔からある商店は閉店して 車の運転ができなくなったお年寄りには生活不便だと思います。

沖縄もいろんな状況が絡み合って大変ですよね(;´Д`)
Posted by ふくよかちゃん at 2014年04月13日 13:04
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