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2014年09月14日

宮台真司さんが『これが沖縄の生きる道』を書いたワケ

【出版に到る経緯と謝辞】

昨今の沖縄問題の半分は
沖縄が悪いという内容の本を書きたい
 、
と盟友の藤井誠二氏に言い続けてきた。そんな本を内地の人間が書いても無駄だぜ、と彼は諫めてくれた。だったら沖縄にだってそんなふうに思う人がいるはずだから探してくれ、と頼んだのが五年前のこと。

 実際に探し出した人たちを、彼と一緒にインタビューさせてもらったが、何か足りない。そんな折の二〇一二年に上梓された仲村清司氏の『本音の沖縄問題』を読み、仲村さんしかいないと思った。藤井さんはインターネットの番組などですでに仲村さんと既知の間柄だったから、紹介してくれた。

 やはり決定的だった。同じ学年で、同じ京都に所縁があり、ともにサブカルキッズであり(仲村さんは『琉神マブヤー』第一シリーズ制作に参加)、ともにハイティーンの頃に学園闘争に触れている。むろん二世とはいえ沖縄ルーツの方だから、否、正確には二世だからこそ、沖縄の歴史について実に豊かで多面的な評価ができる方だ。

 藤井誠二氏は、そんな仲村氏を紹介してくれたことだけでなく、その前の数々のインタビューをアレンジしてくれたこと、その際に幾度も藤井さん宅に泊めてくれたこと、そして仲村さんとの対談の司会をしてくれたことなど、感謝しても感謝しきれないのである。

 仲村さんは、思いの丈をぶつける私に、不愉快な思いをされることもあったに違いないのに、温厚な笑みを絶やさず、恐らく私の社会学的な知識を触発することを意図し、象徴的事例や史実を幾つも挙げていただいた。おかげで、社会学的にもかなり深い話ができた。

 仲村さんに那覇スージぐゎー(裏路地)を案内していただいて驚いたのは、殺風景な国際通りの裏などにあるタイムマシンで転送されたみたいに時間が止まった場所の数々を庭のように自由自在に経巡るだけでなく、出会う猫を全匹識別して個体名で呼んでおられたこと。

 黄色いカレーについてはいろいろ縁がある。妻と出会った時に最初に食べたカレーが「オリエンタルマースカレー」だったし、彼女の前で最初に歌ったのもそのCMソングだったし、彼女に初めて暗記力を披露したのも南利明の「スナックカレー」の口上だった。

 そこでまた驚いたのは、仲村さんが、この黄色いカレーの仲間たちを、沖縄にある三〇〇の食堂で食べ尽くしたということ。そして「マースカレー」のMARSが、マンゴー・アップル・レーズン・スパイスの頭文字であるという、私が知らない蘊蓄を傾けて下さったことだ。 (あとがきより)

宮台真司さんが『これが沖縄の生きる道』を書いたワケ


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Posted by 仲村清司 at 16:18│Comments(0)
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